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2005年江苏南京农业大学日语专业基础综合考研真题.doc

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一、次の文をよんで、( )の中に正しいことばをかき入れなさい(40点)
二、次の日本語を中国語に訳しなさい(70点)
三、用层次分析法分析下列句子。(40点)
) ) 2005 年江苏南京农业大学日语专业基础综合考研真题 一、次の文をよんで、( )の中に正しいことばをかき入れなさい(40 点) 1、文化の国風化を最もよく表しているのは、( )文字の発達である。( )や、漢字の一部分をとった( 世紀には、万葉仮名の草書体を簡略化した( )初めにはほぼ一定し、広く使 が表音文字として用いられはじめていたが、字形も( 用されることになった。その結果、日本人特有の感情や感覚を生き生きと伝えることも可能 になって、国文学が大いに発達した。まず、漢文学とともに( )が公式の場でももて はやされるようになった。そしてそれまでの勅撰漢詩集にかわって、905 年、最初の勅撰和 )が紀貫之らによって編集された。その繊細で技巧的な歌風は古今調と 歌集として( 呼ばれて長く和歌の模範とされ、( )はこののちあいついで編集されていった。貴族 は公式の場合は、従来どおり文章を( とはかなりへだたった和風のものとなった。一方、仮名は( はもちいられなかったが、日常生活の面では広くもちいられるようになり、優れた( 文学作品が次次と現れた。仮名の物語·日記なども極めて盛んとなった。物語としては、伝 説を題材とした『( )物語』などにつづいて、紫式部の )物語』が生まれた。これは主に宮廷を舞台に、理想的な貴族の生活を描いた大作 『( で、同じく宮廷生活の体験を随筆風に書いた( )の『枕草子』とならんで、国文学に おける最高の傑作とされている。仮名の日記は( 宮廷女性の手になるものが多く、女性特有の細やかな感情をこめて記されている。 )だけで記したが、その文章も純粋な( )物語』や、歌物語の『( )を除いては公式の場で )の『土佐日記』を最初とするが、 ) ) 2、( )や( )の創刊からである。1890 年代後半には( )年代から 1890 年代にかけて、自由民権論やアジア問題·条約改正問題な どの高まりのなかで、新聞が相次いで創刊された。大都市での小新聞は娯楽面を重視し、戯 作文学などの大衆文芸の発達を助けた。雑誌の本格的な発達は、1880 年代後半の『国民の 友』や( )などの総 合雑誌も創刊され、新聞とは違った形で国民文化の発達に貢献した。文化では、文明開化時 代に後退した戯作文学が復活してきた。また、政治·外交問題をめぐる民権論·国権論·ア ジア主義などの隆盛に呼応した政治小説が、政治運動経験者によって書かれ、広い人気を博 した。この戯作文学の勧善惩悪主義や政治小説の政治主義に対し、( は、人間の内面を写実的に描き出そうと、( 体で書かれた( たものでもあった。また( がらも文芸小説の大衆かを進めた。これに対して( 重を受け継ぎ、東洋的な観念を主題とする作品をあらわした。日清戦争前後には、( (1868~1894)らの『文学界』を中心として、人間の感情面をおもんじる( 学が盛んになった。小説では( 野でもロマン主義が盛んになり、( (1878~1942)の情熱的な短歌が現れた。 )に『小説神髄』を刊行した。言文一致 )(1864~1909)の『浮雲』は逍遥の提唱を文学作品として結実させ )(1867~1903)らの硯友社は、同じく写実主義を掲げな )(1867~1943)は逍遥の内面尊 )主義文 )(1862~1922)らも優れた作品を発表し、詩歌の分 )(1872~1943)の新体詩や明星派の( )(1859~1935) ) )
3、日本は( )宣言に基づいて連合国に占領されることになった。( )軍は )8 月末から日本本土進駐をはじめ、( )には降伏文書の調印が行われた。 ( 降伏とともに( 閣したが、当時の政策に適応できず、( 協調外交で米英によく知られた( 人の解放、労働組合の結成、( 化という五大改革指令を発した。 )内閣は総辞職し、皇族で元軍人の( )(1887~1990)が組 )初めに総辞職した。かわってかつての )が首相に就任し、GHQ は新首相に対して、婦 )の民主 )、圧政的諸制度の撤廃、( 二、次の日本語を中国語に訳しなさい(70 点) 1、近代市民社会においては、「契約は守られねばならない。」ということが、最も大 切な常識の一つとされている。しかし、これは、外から押し付けられていやいやながら守る、 といった性質のものではない。契約を守ることは、外ならぬ自らの自由を守ることなのでも ある。そのルールは自分の意思で作ったルールであるから、自分でそれを破るのは、自らの 首を絞めるに等しいとされる。また、自らが契約を守ることは、相手方をしてそれを守らせ ることでもある。自分で契約を破ることは、自分の恣意をみとめることであり、ひいては、 相手方の恣意に脅かされる運命を自らの手で作りだすことでもある。自らがルールを守るこ とによってのみ、相手方がもしルールを破ったら、その違反を追及し、ルールに従った権利 を主張することができるのである。 こうしてみれば、契約において、拘束と自由とは盾の両面であることが分かるであろう。 自由の問題を抜きにした拘束は考えることはできない。逆に、拘束のない自由などというも のはあるはずがない。近代市民法の打ち立てた「契約は拘束する。」という命題こそは、封 建的恣意に対する資本主義的自由の輝かしい勝利の道標である。そして「契約は守られねば ならない。」というこの常識の中に、資本主義社会における自由の根本的問題を解く鍵が秘 められている。 さて、しかしながら、契約の拘束と自由との関係についてのこのような市民法的常識は、 日本社会において自明な常識であるかどうかは疑わしい。当事者が自らの意思を拘束する客 観的ルールを定立して、それに服することによってお互いに自由を保障するという契約観は、 明治以降の日本の社会において十分にはぐくまれたとは言い難い。それどころか、形は契約 の形をとっていても、中身は当事者の一方的主観的意思が貫くようにできているという関係 は、戦前の日本社会においてはむしろ通常のことに属した。 例えば、借家においては、契約期間が決まっておらず、契約書も交わされないという状 態が、よく見受けられた。中には、御丁寧に借家人から「貴殿ご入用のときはいつでも立ち 退きます。」という一札をとっていた家主も少なくなかった。ここにも、家主の意思を拘束 する客観的ルールはなかった。この関係は、家主の一方的主観的意思が恣意的に貫かれる関 係であり、借家人の運命は家主の気持ち一つによって左右されるというぐあいだった。 このような関係が、戦後、市民法的常識が普及するにつれてかなり改善されてきている ことは、事実である。しかし、それにもかかわらず、今日なお、拘束によって自由を保障す るという契約観は、必ずしも皆の物となってはいない。家屋や土地の紛争で私のところに相
談に来る例を見ても、そのほとんどの場合が、驚くことに、契約書を取り交わしてはいない。 現在は法律によって借地人や借家人の地位をある程度保護しているから、昔のように彼らが 簡単に追い出されることはないけれども、法律で保障していない点は、全く当事者の恣意で 左右されてしまう。 家主や地主の側にしても、「ちょっとの間、と言うので口約束で貸したところが、返し てくれと言っても返してくれない。どうしたらよいか。」と質問してくる場合が非常に多い。 だいいち、契約書がなければ、ちょっとの間の契約であったかどうかを証拠付けることさえ も難しいであろう。どんな場合にも、後になって水掛け論にならないように具体的証拠を残 しておく、という法常識は、まだ確立していないようにおもわれる。 よく言えば、日本人は人が良くて相手を信用し過ぎるということかもしれないし、悪く 言えば、物事のけじめをはっきり付けないでルーズであるということかもしれない。特に肉 親とか友人とかの間になると、つい気を許して、いっそうルーズなりがちなものである。私 のところへ相談に来る例でも、「弟に貸してやったので、まさかこんなことになるとも思わ ず、契約書もとらなかった。」とか、「知っている人の紹介で、信用の置ける話だったので、 口約束で済ませた。」とかの例が多い。 しかし、人は契約関係に入るときに、あらかじめ紛争が起きることを予定して入るわけ ではない。あらかじめ紛争が予見できるぐらいならば、そのような契約はもともと結ばなか ったであろう。つまり、こういうことである。契約を結ぶということは、それ自体、常に相 手方を信用することであり、「まさかそんなことはない。」と思うことなのである。そして、 まさに権利の行使が問題になるときは、常にその「まさか」という信用が裏切られたときの ことなのでもある。だから、契約条件を明確にさせ、契約書を交わすことは、権利を大切に する社会では、しごく当たり前のことである。 私も経験したことがあるが、契約書を作ってくれと言うと「このおれを、疑っているの か。」とか、「おれがこんなに大丈夫だと言っているのに、信用置けないのか。」とか言っ て絡むような前市民法的な、非常識の持ち主がまだいる。ごく常識的に考えて、そんなに約 束を破らないという自信があるなら、それこそ、どうして約束を文書にして、相手を安心さ せないのだろうか。文書化を拒否するような人は、客観的ルールに自分を従わせたくないと 思っている人であり、そういう人こそ、最も疑うに値すると言わねばなるまい。 2、ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞えたるに、 卯の花·花橘などに宿りをしてはた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。 五月雨の短き夜に寝ざめをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出で たる声のらうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれ ば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。 夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。 三、用层次分析法分析下列句子。(40 点)
1.提高整个中华民族的科学文化水平是亿万人民群众的切身事业。 2.一年三百六十五天。 3.康熙皇帝对当时西方传教士所带来的一切欧洲学术,几乎都发生兴趣。 4.用历史著作《三国志》去对比文学著作《三国演义》,未尝不是有益的事。 5.阳光火一般地喷下来,我热得气都喘不过来。 6.这批汉代简册的发现,具有极其重要的意义。 7.鲁迅是中华文化革命的主将,他不但是伟大的文学家,而且是伟大的思想家和伟大的革 命家。 8.老哥哥为人和善,孩子们都喜欢他。 9.天气暖和起来了,蜘蛛又出来在檐前做网。 10.我请教您一个问题。
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